朝食
四十九日の意味。

改めて「四十九日」の意味を知りました。四十九日とは故人の魂がこの世を旅立つので、いつまでも悲しんでいないで、しっかりと自分の生活をしていきなさいという区切りの日。亡くした悲しみを乗り越えて、しっかりと自分の人生を生きていく区切りの日だそう。
昨日(8/27)がみい君の四十九日。今朝も4時半に目が覚めた。暫くして白々夜が明けた。あの日のように虫の音が早朝の庭でしぐれのように鳴り響く。「夢でいいから逢いたい」。
今朝、何となく不思議、私はみいが家から天国へ旅立ったと感じました。何となく不思議な思いに包まれました。「みい君、もう大丈夫だよ。心配しないで。私は元気に進むよ。みい、ありがとう」。泣かずにそう思いました。
毎日毎日、みいを想い出しては泣く自分から立ち上がり、前に進む日が訪れたと感じました。みいの想いを感じました。「お母さん、しっかりして。僕、もう天国へ逝くよ。しっかりして」。
みいとの「想い」を整理して感情を治めます。みいの事はどんな小さな事も忘れたくない。これからは想い出と共に生きていきます。
※和室にある骨壺を今日から自分の部屋に移そうと思います。心の区切りをつけるために。
体調回復。
私は5月~頸椎からくる神経の病気で動けなかった。その間、毎日励ましてくれたのはみい君だった。そのみいが逝った日(7/10)の夜明けが忘れられない。毎朝4時20分に目が覚める。前日から急に具合が悪くなったみい君は息苦しさに耐えていた。みいも私も一睡もせず、やっと白々夜が明けた。抱っこして庭に出ると、みいが気持ち良さそうに外の空気を吸っていた。息苦しさが取れて眠っているように見えた。 僅かな時間だったけど安らかなひとときだった。でも又、苦しそうに。
病院が開くと同時に入院。酸素室で横になったみいを見て「きっと大丈夫」と思いながら帰宅。その後病院から亡くなったと聞き泣き崩れた。でも「みい君、やっと息苦しさから解放されたんだね。楽になったんだね。苦しかったね。みいくん。楽になった?」と。思いが頭の中を駆け巡った。
未だに毎日泣いている。仕方ない。16年半も私の傍で溢れんばかりの愛を注いでくれたのだから。泣いても仕方ない。
※写真はポーセ:紅茶のセット。
今日はポーセの日で集まった人たちと楽しい時間を過ごしました。みいの話になると途端に涙が。
病院が開くと同時に入院。酸素室で横になったみいを見て「きっと大丈夫」と思いながら帰宅。その後病院から亡くなったと聞き泣き崩れた。でも「みい君、やっと息苦しさから解放されたんだね。楽になったんだね。苦しかったね。みいくん。楽になった?」と。思いが頭の中を駆け巡った。
未だに毎日泣いている。仕方ない。16年半も私の傍で溢れんばかりの愛を注いでくれたのだから。泣いても仕方ない。
※写真はポーセ:紅茶のセット。
今日はポーセの日で集まった人たちと楽しい時間を過ごしました。みいの話になると途端に涙が。
お盆過ぎると「夏終わり」。

子供の時から親に刷り込まれたフレーズの一つ。「夏はお盆までだよ。お盆が過ぎると朝夕は気温が下がる。海は土用波でお終い」。
そう聞いて育った私は今、外出の服選びで思った。衣替えで「夏になったらこれを着て出かけよう!」と、少し待ち遠しかった夏服を着る事なくもうお盆。「夏はもう終わりだ‥」。真夏の旅先でしか似合わないお気に入りのノースリーブは出番なし。 眺めながら、今年はみい君の事や頸椎症で沈んでしまった。在宅生活だった。
後半は、体も回復したし出かけよう!みい君とのお別れの心の区切りはこの1か月、自分に言い聞かせてきた。が、今も書くと涙が溢れます。でも泣きたいときは泣いて一歩づつ進んで行く事にしました。
※写真はポーセラーツ:大きめのソーサにクッキーをのせ珈琲を。手提げの器には砂糖ととミルク。ポーセは心が明るくなります。このホビーに巡り合って本当に救われました。